※歴史的な話は全ての文献をあたった訳ではないので、色々誤解や覚え違い、間違いなどあると思いますが、ご容赦下さい。

私について

田中恒行代表社員の田中です。

時は高度経済成長期と呼ばれる昭和の頃。京都市上京区の方位の神様、大将軍八神社がある一条通に面した京町家で私は生まれ、幼少期〜20歳位までを過ごしました。町家は祖父母と叔母の住む母屋で、実際に私たち家族が住んでいたのは、その裏の一戸建てなのですが。晩ご飯などは母屋で祖父母、両親、私たち兄弟3人、叔母(父の妹)の8人で食卓を囲む賑やかな家です。少年時代のお正月、お盆には、父の7人の兄弟姉妹がこの実家にそれぞれ子供を連れて帰省し、さらに賑やかで祭りのようでした。普段は近くのお寺や大将軍八神社、北野天満宮が主な遊び場でした。

両親共に京北の生まれ(父は黒田、母は山国)で、商売に長けた父方の曽祖父が京都市内で質屋などを営み、祖父の為に建てた家が、一条通にあるその町屋であると聞きます。

現在、事務所としても利用

私が生まれた時にはその曽祖父は亡くなっており、黒田の父の実家はすでにありませんでしたが、山国にある母の実家へは毎年、盆と正月に1週間程滞在し、特に夏は朝から日が暮れるまで、いとこたちと大堰川へ魚釣りや泳ぎに、山へカブトムシ、クワガタなどの虫捕りに、真っ黒に日焼けして駆け回り、本当の闇が訪れる夜は、黒くて太い立派な柱で建てられた、神秘的で広い木造家屋に恐れながら、涼しく寝ました。現在当社の事務所としている古い民家がそれです。

家の前には、大堰川から田畑に水を引く用水路(小川)が各道沿いに流れ、コンクリート護岸もされていない素掘りの川淵には、沢山の種類の生き物が生息し、洗濯や食べ物を冷やしていた名残もありました。遊びの天才だった少年たちは、これら多様な環境の中で次々に新しい遊びを編み出し、時には危ない思いもしながら自然と対峙していたように思います。

藤野家

母の旧姓は「藤野」。山国という土地に関連深い家系です。

平安時代。平安遷都の際に大内裏御造営の木材をこの地から調達したことから、山国は御杣料地として定められ、大工寮修理職の官人として山国神社が造営されました。

山国護国神社にある山国隊 藤野斎の墓

現在も毎年この山国神社の秋の例祭で行進するのが、「山国隊」と呼ばれる、鉄砲隊を伴った鼓笛隊。京都の三大祭の一つ、時代祭で先頭をピーヒャ〜ラ・ドンドンドンと行くのでも有名です。母に言わせると、山国神社例祭と時代祭の行進では節が少し違うそうです。

幕末の慶応4年(明治元年 1868年)、明治天皇側(薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍)と、旧幕府軍との戦い、戊辰戦争の初戦、鳥羽・伏見の戦いで、平安時代以来の皇室との関係と郷中復古(禁裏御料を回復しバラバラになりつつあった山国全体を皇室の直轄地に戻す)の願いから結成された農兵隊が「山国隊」。

山国神社のお祭りでは家の前が休憩場所に

現在のお祭りでの行進は、事を成し終え、鼓笛を奏して京都から山国への凱旋する様子を模しています。山国神社の例祭では、この母の実家の前が中間地点の休憩所として、行列を先導する三騎の鉾を上下に揺らして鈴を鳴らす、神輿を揺らすなどのパフォーマンスを行うランドマーク的な場所になっています。また、選挙の際には祖父の意向で選挙事務所としても場所を貸していたそうです。当家は分家ですが、本家は山国神社の神主を務められてきました。

そして、この山国隊のリーダーの一人であった、藤野斎(ふじの いつき)が母方の祖先にあたります。山国隊は、京都市上京区の北野天満宮と椿寺の間(まさに私の実家の辺り!)の茶畑に作られた訓練所でフランス式の軍事訓練に挑みました。山国の人たちは、剣術などはイマイチでしたが、猟師が多くいたので銃の扱いは上手かった、とか、フランス式軍事訓練であった為に行進で使う太鼓も和太鼓ではなく、西洋式のバスドラムやスナッピーのついたスネアドラムである、とか、興味深い話は尽きません。

「日本映画の父」牧野 省三

牧野(マキノ) 省三(まきの しょうぞう)は、日本映画製作の創始者で、日本初の職業的映画監督。

頃は明治。牧野省三は、前述の山国隊の藤野斎と義太夫芸妓の牧野彌奈(やな)の間に生まれた非嫡出子(法的に婚姻関係にない男女の子)として、彌奈の女手一つで育てられました。彌奈は、明治に流行した、女性の義太夫節語り、娘義太夫・竹本弥奈太夫として、また大野屋という寄席と上七軒の置屋の経営者として、土地柄、西陣の繊維業界の旦那衆を顧客としていました。

また、彌奈と息子・マキノ省三は、牧野家の地所内の劇場・千本座を、父の藤野の交渉により買収し経営、省三は自らも舞台に立ち義太夫や芝居を披露、この千本座で活動写真の興行から映画に関わり、当時設立したばかりの日活に入社、映画監督になりました。私が生まれた頃には、千本座を含む数十軒の映画館はなくなり、千本日活を残すのみとなっていましたが。

マキノ省三の子孫には、映画監督のマキノ雅弘さん、俳優の津川雅彦さん・長門裕之さん兄弟などがおられ、最近は、日本テレビ系バラエティー特番「はじめまして!一番遠い親戚さん」でお笑いタレント・宮川大輔さんも子孫にあたることが分かりました。

林業

前述の通り、京北は皇室の木材調達の地、御杣料地でしたが、私の家も父方の先祖から代々引き継いでいる山林を所有しています。

話は昭和初期に。当時その山林の名義は祖父でしたが、祖母が”山主(やまぬし)”として、“山守(やまもり)”さんに管理を依頼し、“山行(やまいき)”さんがきこりとしての作業を行っていました。実際に木を切り出して木材として売れると仲買人が売上金を持って家にやってきて、祖母がお酒や手料理で歓待していたそうです。このお金が私たちの住んでいた一軒家や日々の生活費の一部となっていたというのですから、それ相応の額だったのだと思います。その後、山林の仕事は父が引き継ぎました。

相続問題

私が20代で東京に出てきて数年後、祖父母が続けて亡くなりました。この相続税支払いのために借金をし、私の実家、一条通の古民家も取り壊して学生用マンションを建て、その収入で返済していく計画となりました。さらにこの遺産の使い方で父は一部の妹達と揉め、和解金を払う事で決着、さらに大きな借金を背負います。弁護士さんに言わせると相続で最もよくある事案だそうですが。古い町屋も、そこに集まる親戚たちの賑やかな声もなくなりました。そしてこの時にはもう山林もそれほどの価値はなく、父が相続。

時は平成の後半、父も高齢になり次代への相続を考える時、森林組合にまかせっきりになっている山林を含めどうするか、という話になりました。この時から私は、山のこと、山国のこと、林業のことなどについて多方面からの情報収集を始めました。そして2020年、時まさに森林環境税や建造物の木造化、木質化の拡大など国策として木を使うことが推奨されている中、種は蒔いておこうと、この会社「平安林業」を立ち上げました。

山国の家の問題

母方の祖父が亡くなったのは、父方の祖父母の他界から数年後。俳句や茶の湯を楽しむなど粋人でした。その死後、しばらく祖父の連れ合いが住んでくれていた山国の木造古民家は、その方も亡くなり伯父(母の兄)が相続、空き家となって数年経ち、廃墟のような状態になっていました。

そこで、ガーデニングや野菜作りが好きで、この実家への愛着があった叔母(母の妹)と叔父が、今のような住める状態に修繕し、立派なイングリッシュガーデンと家庭菜園を作りました。いとこ(叔母の娘)とその子供もよく泊まるようになり、帰る時には「帰りたくない。ここにいたい。」と泣き出すほどだったそうです。山国神社の例祭には、毎年ここに母方の親戚たちが集まるようになり、私もそれに参加しているうちに、当社の事務所として登記させてもらう事を考えはじめました。

しかし相続した伯父にとっては、毎年、固定資産税や光熱費などコストがかかるばかりで、次の代には残したくない負の遺産。どこかで処分することも考えないといけない。これを当社で買い受け、事業に活かせれば、一石二鳥。なのですが、まだ当社は収益が出ておらず無償で場所を借りている状態。将来うまく利用してくれる人、団体があれば、とも考えています。

京北の新しいコミュニティ

「ツクル森」の様子

林業のことと同時に、山国を含む京北地方の現状を調べる中で、近年この地に移住してきた方達が実に素晴らしい知恵とビジョンとスキルを持って事業を行い、自立した企業、団体としておられることを知りました。古いタイプの「地方創生」のような外部から掻き回すようなものでない、地に足が着いた、地元とのハイブリッドも行われている活動に感銘を受けています。

大好きなこの京北がその歴史をアップデートしながら続いていく、まさにサスティナブル、リジェネレータブルな活動が行われていることは、本当に嬉しいことです。

象徴的に思えたのが、年の暮れの「お餅つき」が最近も京北のそこかしこで行われていること。我が家も親戚が集まれて親たちが若かった頃は毎年、早くから準備して臼と杵を使い親戚総出でお餅つきをしたものです。お餅つきは活力の象徴のように思えます。

また彼らの企画する山歩きや「ツクル森」アート・クラフト・世界の音楽会のボランティアに参加させて頂き、ここから何かが起こると確信しています。人のつながりの脆さと強さを経験した私にとっては、ネガティブな古い田舎が描き変わっていく奇跡を感じずにはいられません。インターネットで時空を簡単に超えられる今だからこそ、確かな概念を持った「場所」が主人公になる時代になっていくと私は考えています。

今後の平安林業の活動指針

  • この山国の歴史をアップデートしながら、未来につなげたい
  • 田中家の山林を買取、新たな林業をキーにした、京北の経済と文化を活性化する事業
  • 林業のIT化、ロボティクス化、飛行船を使った木材の搬出
  • アクティビティ、採取、木質バイオマス、木質リグニン、木製品加工販売等の森林ビジネス
  • 祖父が設立した俳句会など文化的な活動
  • この会社を京北にとって役立つ道具にし、若い方に移譲してでも繋いでいきたい
  • 山国の家を活用して地域のための活動
  • 木を担保にした地域通貨「ウッドコイン」
  • 継続性のためには経済的な活性化が必要だが、すべて京北に住む人とこの土地のためになることを

等々。